一九二六年、福岡県築上郡椎田町

百年前の一冊の日記が、
静かに語りはじめる。

戦争でも政治でもなく、そこにあるのは毎日の暮らし。家族を思い、女学校に通い、試験勉強に頭を悩まし、神社に参り、人々と助け合いながら生きる姿が、素朴な言葉で綴られています。

上田ヨシ 十六歳 表紙

大正時代の女学生の日記

歴史書には残りにくい、
「普通の人々の人生」。

大正十五年/昭和元年。福岡県築上郡椎田町、現在の築上町で暮らした十六歳の女学生、上田ヨシの日記です。

大きな事件を記録したものではありません。けれど、家族との会話、学校生活、年中行事、友人との交流、日々の小さな喜びや悩みの中に、百年前を生きた一人の少女の息づかいが残されています。

上田ヨシ
明治43年生まれ。福岡県築上高等女学校へ入学、大正15年に本日記を記している。 ヨシの父親は福岡県築上郡椎田町の鏑宅神社の宮司であり、また大正14年~昭和9年まで椎田町の町長を務めました。 1941年31歳で肺炎のため死去

上田ヨシの日記 1月2日のページ
百年前の紙に残された、薄れかけた文字。
上田ヨシと子どもたちの古写真
家族の記憶とともに守られてきた写真。

日記より

「又今日の午前中は、のらりくらりとして過ごしました。 午後からは山崎さんから年賀状が来ておりましたので、私も出し、 又、田中さんにも手紙を出しました。 ああもう二日です。この日誌にも、もう今日で二度書きました。 学校に行く日まで、もはや残り少なき数日となりました。 本当に日の経つのは早いものです 」

何気ない一日の記録。その言葉の奥に、当時の暮らし、交友、季節の空気が見えてきます。

編集者より

母の遺品の中から見つかった、祖母を知る唯一の手がかり。

二〇二二年、亡き母の遺品の中から祖母の日記を見つけました。祖母は、母が一歳半のときに肺炎で亡くなっています。そのため、母も私も祖母のことを知りません。この日記だけが、祖母を知ることのできる唯一の手がかりです。

百年前の紙はひどく傷み、文字は薄れ、判読できない箇所もあちこちにありました。旧字体、くずし字、戸籍資料、地元の年中行事。小さな謎解きの積み重ねが、本書の注釈の一つひとつになっています。

文字を解き、資料を調べていくにしたがって、少女時代の祖母の姿が、私の中で身近になっていきました。モノクロだった祖母の日常が、少しずつ色彩を帯びていくようでした。

書籍情報

日本語版

上田ヨシ 十六歳 表紙

上田ヨシ 十六歳

大正時代の女学生の日記。解読、注釈を通して、百年前の暮らしをたどります。

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